Messages

Congratulations on
30th anniversary!
  • 30周年おめでとうございます!!! ヒップホップ、日本語の自由さを入り口に、
    今も(E)オトナの自由さをせいこうさんから学んでいる想いです。
    自分の子供の名前を考えている時には『人は、名前と人格が一致する時が必ず来るので何も心配することはないョ』
    と言ってもらってマジ感動しました。もう圧倒的なカッコ良さです。何十年も追いかけます!!!
    會田茂一
  • 『アニヴァーサリー祝賀会などという愚劣な慣習は嫌いなのでお祝いコメントは出しません』というコメントなら出してもかまいません。
    浅田彰
  • デビュー30周年おめでとうございます。
    ビートやメロディの上だけでなく、文学の地平へと言葉を追いかけるせいこうさんには、多くの刺激を受けています。
    あらゆる方面に伸びた枝葉から、光合成を経て幹へと集う太い意志と言葉を、これからも楽しみにしています。
    ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文
  • いとうくんと初めて会ったのはショコラータの「黒い月のニーナ」の撮影現場。お互い先輩を通して名前だけは知っていたけど、、。帰りにセンター街のファーストキッチンで二人で夜遅くまで話して盛り上がったな。それから2回、3回話し合っているうちに二人で会社を設立することに。お酒を酌み交わすこともなく苦笑。当時はいとうくん飲めなかったし、ね。 「建設的」はジャケットの入稿が本当に大変だったことだけがよく覚えているなあ。何せ立体オブジェの舞台美術を手掛けている人間に、いきなりアルバム・ジャケットを、と、いまの技術ならば分業すれば解決することが多々あったかも。 僕たちの誰もがいきなりアルバム・ジャケットお願いしますね! と技術的だけど言われた感じ。 いまでもよく発売出来たな、と思います、なんか昼も夜も終わらない感じだったな。 「MESS/AGE」は当時、EPIC SONYの代表だった丸山さんがリリースに初めに反応してくれて色々進んだのだった。いま書いていて思い出した(汗)。丸山さんから、ただEPICから出すと埋もれてしまうかもしれないし、なによりインディペンデントのほうがカッコいいよ、と社長室で二人で話したのもよく覚えている。 僕が関わったいとうくんのアルバムはこの2枚、なはず。 シングルは「渚のアンラッキー・ボーイズ」好きだな! あっと言う間の30年! おめでとう!
    井出靖
  • いとうくんが20代前半の頃、我々が作っていた「楽しいテレビ」というDVDに出演してくれたのが初めての出会いだった。
    その鋭い感性と洞察力は、ずば抜けていた。
    彼の持つ毒は既成のテレビやマスメディアとは別の次元で熟成し続けて…30年。
    まだまだ進化する独創溢れる活動が楽しみだ。
    私に刺激を与えてくれる、いとうせいこう。
    ところで聞き忘れたが、せいこうは成功なのか、性交なのか、精工なのか。
    伊武雅刀
  • いとうせいこう様

    30周年誠におめでとうございます。
    『SRサイタマノラッパー』の公開時に対談させていただいたこと、
    『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』にご出演いただいたこと、
    そして、なによりHIPHOPと文学などについてお話しさせていただいたこと、
    夢のような時間だった、と今でも思い出します。
    これからも追いかけていきます。
    入江悠
  • せいこうさんには、88年、僕が高校3年生の時に、同級生と組んでいた、「高校生童貞ラッパー(©ウディ川勝さん!!)」のHIP HOPトリオKRUSH GROUP(クラッシュグループ)で、日本最初の大きなHIP HOPイベント『TURN YOUR TABLE』@芝浦インクスティックに出演させていただいたり、テレビ番組『11PM』での『ノーライフキング』のリリースに合わせた企画で、そこで描かれている少年達の実例、的な紹介で出演させていただき、ライヴさせていただいたり、と、10代の頃からお世話になりっぱなしです!
    93年、A.K.I.PRODUCTIONSのファースト・アルバム『ジャパニーズ・サイコ』がリリースされた直後のリリース・イベントで、持病の騒音性難聴が悪化し、ラッパーとしての活動がままならぬ状態の時に、DO THE MONKEYの渡辺祐さんを通じて、せいこうさんのTOKYO-FMの深夜ラジオ番組『FAX YOU!』の構成作家に誘っていただだいたり、せいこうさんがプロデュース・脚本を担当された、ぜんじろうさんのセル・ビデオ『怒りのZEN』に役者として起用してくださったり、時を隔てて、2005年、僕が山口小夜子さんと組んでライヴをやった時に、(後の)ナイーヴスの皆様方と共に、そのライヴを観に来てくださり、そのことをNTT Dataのweb連載『先見日記 Insight Diaries』でお褒めいただいたりなどなど、本当に色々とありがとうございます!
    せいこうさんにメディアを通して、僕が若い頃(80年代)、その存在を教えていただいた、ヤン富田さんと柄谷行人さん。お陰様で、遂には、昨年、東京都現代美術館 / DOMMUNEで、「交換様式Dのテーマ'15」という、Buchla Music Easelというシンセを操作しながらDUB MIXされた声でラップする、という電子音楽・HIP HOPをライヴで発表することが出来ました! しかも、僕にとってもせいこうさんにとっても大切な先輩である、山口小夜子さんの展覧会の中で! そして、いま、神田TETOKAで『トランスクリティカルHIP HOPショー』、それともう1つ『A.K.I. Plays Buchla~ラップとトークとエレクトロニクス』という2つのライヴ・シリーズを展開しております!
    そういえば、DOMMUNEの宇川直宏さんは、僕が、最初に、せいこうさんにお目にかかかった、88年、原宿駅前の会場で行われた『D.J.ゴングショー』に、KRUSH GROUPでライヴ出演した時、会場に観に来てくださっていたそうです!
    せいこうさんは、いろいろなご縁をお持ちの方ですが、僕にも、その大切なご縁を分けていただいたような気が致します。
    せいこうさん、いつも色々とありがとうございます! 次の奥泉光先生との『文芸漫談』も拝聴しに参ります! では、また会場で!
    A.K.I. (倫理B-BOY RECORDS / A.K.I.PRODUCTIONS)
  • プロデュース稼業も数え数えて107作、久しぶりに自分のアルバムを作ってみようと、
    昨夜は細野晴臣にベースを弾いてもらって二人が出会った40年以上前の話になったけれど、​いとうせいこうに出会ったのはいつのことか?
    ​デビューアルバム『建設的』をリリースして30年経つというが、たしかに、それより前の彼に僕は会っている。
    講談社から出ていた「ホットドックプレス」という雑誌の編集者時代で、依頼された原稿の内容については、まったく思い出せないのだが、初めて会った彼の印象は深く胸に刻まれている。
    というのも、その時、ホームグラウンドにしていた六本木インクスティックというクラブで彼はお笑い芸人として一人で一時間もしゃべり続けることが出来ると聞いたからだ。
    数年後、ジャガタラやミュートビートと一緒にやっていたTOKYO SOY SOURCE というイベントに藤原ヒロシと高木完がやっていたタイニー・パンクスとともにゲストで参加するころには、彼はすかり板についたラッパーに変貌していた。
    その後の音楽だけでなく演じてよし、話してよし、書いてよしの彼の八面六臂の活躍は誰もが知るところだが、今思い返し俯瞰すると70代後半、海外特派員だった僕がニューヨークからパンクロッカーになって舞い戻ってくると、旧友、細野晴臣がテクノカットに変身し、最初、地味な編集者だった、いとうせいうがやはりニューヨーク発のヒップホップのうねりに巻き込まれて突然、過激なラッパーに変貌していくように、この時代に大きな切れ目をいれた路上の美学が世界に拡散し、いかに多くの人間を魅了したかがわかる。
    S-Ken
  • 『建設的』思えばこのアルバムが僕の日本語ラップ人生のスタートです レコード針が擦り切れるほど何度も繰り返し聴いてたのを思い出します。
    気付けば カンゴールハットにボンテージパンツ 首からはフェイクゴールドチェーン もちろん黄色い淵のメガネ姿の僕がマイクを握りライブハウスで『東京ブロンクス』等の名曲をカバーしていました。
    せいこうさんがいなければ今の僕はありません。
    そして時が経ち そんな憧れのせいこう様とお会いする事ができ 浅草の鰻屋に連れて行ってもらいました!、、、が、、、緊張MAXで味がしなかった、、、人間追い込まれると舌が馬鹿になるんです。
    さらにさらに自分のアルバムで共演する事が実現!、、、が、、、気持ち悪くなりました。人間追い込まれると体調が悪くなるんです。
    とにかくこの度は本当におめでとうございます! これからも僕のアイドルでいてください。
    あらやだ こんな文章を書いていたらまた気持ち悪くなってきた、、、 寝ます。
    MCU (KICK THE CAN CREW、UL)
  • 人は倒れて起き上がる。
    そして又、倒れる。
    なん度も繰り返す。
    そしてギリギリの今日を生きる
    それに誰かが続く。

    君には使命がある。
    倒れた 辛さを、
    蘇った 喜びを。
    静かに伝えることだ。
    微力ながら私もそれに付き合う。
    オメデトウ
    大竹まこと (シティボーイズ)
  • デビューアルバム『建設的』の収録曲「なれた手つきでちゃんづけで」のアレンジを担当したのがきっかで、
    当時「anan」などの読者モデルとして活躍した島崎夏美を中心として活動したチロリンに詞を書いてもらったり、
    NHK教育『天才ビットくん!』でビッ校の音楽教師ビットール・オカダとして共演させてもらったり、
    楽しい時間をいっぱいありがとう!!
    また,いつかどこかで楽しい時間を。
    ムーンライダーズはデビュー40周年、せいこうさんは30周年ともにめでたいのココロ ♫
    岡田徹
  • せいこうさんとは、元々シティーボーイズや作家活動などの仕事ぶりなどで僕がファンだったんです。
    数年前に対談させていただいた時にそれを伝え、そこからのおつきあいです。
    いろんな方から慕われてるように、その人徳ぶりやユーモアと知性に溢れた物腰にいつもさすがだなーって思ってます。
    せいこうさんのような品格を
    一回真似できたらなって思います。
    30周年おめでとうございます。
    岡村靖幸
  • テレビ番組で先生と生徒という関係を通じで様々なことを実際に教えて頂き、また氏に偶然連れて行って頂いた香港旅行がきっかけでボク自身が香港にハマり最近は香港に関する事柄で仕事までさせて頂けるようになり、更にはクイズ番組でクイズ作家としての道を拓いて頂き、そしてボクの妻との仲人的な存在でいらっしゃる。つまりは恩人でしかありません。これからも出来の悪い「面白くない方のアフロ」にご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
    オカモト"MOBY"タクヤ (SCOOBIE DO)
  • HIP HOPに興味津々だった高校の頃、TVから流れてきたCMソングに頭が爆発しました。
    ビートに乗せた「ネッスルの・朝ご飯!」。
    日本語でラップができるなんて!そのラップをしていたのがせいこうさんでした。
    このCMのせいで僕はラッパーになったのです。
    ・・・・・責任とってください!
    かせきさいだぁ
  • 優れたボケに対しては「つっこみ」
    手を抜いたボケに対しては「殺し」にいく
    いとうせいこう
    そんなせいこうさんの狂気に満ちた笑い声が僕は
    大好きです。
    勝俣州和
  • 「いとう先生」、僕にとってこの言葉が全てを表しています。
    考えてみればスペシャ中学も10年前の話し。
    それが今でもみんな集まったり繋がりがあるって、よく考えたらすごい事だ。
    求心力や包容力、たくさんの魅力に引きつけられます。
    そしてそんな立場にいながら常に挑戦者であるところ、なんて格好良いのだろう。
    30周年おめでとうございます!
    金澤ダイスケ (フジファブリック)
  • 『建設的』リリース30周年おめでとうございます!
    僕を形成する上で、イチローではありませんが「戦った相手が向こう30年『建設的』には手を出せないな、というくらいの勝ち方をしたい。」というくらいに影響を与えて貰ったアルバムです。そして東の果て葛飾区で活動する我々東葛スポーツをいつもフックアップして下さりありがとうございます。
    金山寿甲 (東葛スポーツ)
  • 僕は小学生のころからいままで、ずっと前髪ぱっつんなのですが、それは、いとうせいこうさんの真似です。
    いとうさん、デビュー30周年おめでとうございます!
    鎌田順也 (ナカゴー)
  • いとうせいこう様へ

    この度は「建設的」30周年、本当におめでとうございます。また、この度まったく面識もない自分のような者がお祝いのコメントを送りつけてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。お祝いの言葉とともに謝罪させていただきます。誠に申し訳ありませんでした。
    美術大学に進学してからコントを始めた我々はいとうせいこう様の著書「幻覚カプセル-絶望居士のためのコント」をまるで教科書のようにし、コントを学びました。この場を借りてお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました。
    また、彼女にいとうせいこう様のことを説明していた際、なかなか認識できなかった彼女が「ああなんだ。足軽先生のことね」と言って済ましたこと、誠に申し訳ありませんでした。多岐にわたる分野で活躍するいとうせいこう様のことを、足軽顔としか認識していなかった無礼さを、この場をかりて謝罪させて頂きます。誠に申し訳ありませんでした。謝罪させていただくとともに、お祝いの言葉とかえされていただきます。この度は「建設的」30周年、誠におめでとうございます。
    神谷圭介 (テニスコート)
  • いとう君と初めて会ったのは、いとう君が、早稲田の学生か講談社に入っていたのか、その頃でした。会った瞬間、私より相当年下ですが、この男とは長いつき合いになるなと思いました。自分で云うのも何ですが、私には本能的に才能を見極める能力があるようです。案の定長いつき合いです。シティボーイズのライブではどれだけ助けられたかわかりません。一番の想い出は、テント公演の時です。彼は精神的な病で生きてるのがやっとの状況でした。楽屋では、起きることもできず、布団の中で寝ています。舞台は中止しても良かったんですが、彼はやりきりました。やりきるどころか、笑いをとるのです。もう仲間としては感動です。舞台上でいとう君の顔を見れば、ほとんど死人の顔です 。あの精神力と責任感はどこからくるのでしょう。私には全くないものです。しかも布団の中から「きたろうさん、テンポがわるいですよ」と言う。病人に言われたくないわと思いつつ、こいつ、自分の病気よりお客さんの事を考えてる。そういう男です。
    きたろう (シティボーイズ)
  • インテリジェンスとヒューマニズムを兼ね備えるというのは、暴力と愛ほどの矛盾を孕んでいる。いとうせいこうとは、そういう素晴らしい矛盾である。
    紀里谷和明
  • 30周年おめでとうございます。
    自分が生まれてはじめて覚えたラップは
    せいこうさんがやっていた朝ご飯のCMの曲でした。
    その話をスペシャの番組で直接お話できたのは嬉しかったです。
    その後にライブでマイクリレーものの「PROPS」という曲の最後を飾ってもらったことが
    一番の思い出です。
    KREVA (KICK THE CAN CREW)
  • スペースシャワーTV『熱血!スペシャ中学』という番組で生徒になって、早13年。
    以来、僕はプライベートでも、ずっと、
    "先生"と呼び、お名前で呼んだことはほとんどありません。

    先生の、その自由。
    真っ直ぐであるが故の、変幻自在。
    すぐそばにいるのに、誰もつかまえられない。
    僕は、その背中を追いかけるだけです。
    いつもカッコいい先生でいてくださり、ありがとうございます。

    それでは最後になりますが、先生、
    この度は古希のお祝い、おめでとうございます。
    これからも長生きしてくださいね!
    グローバー義和
  • ほら、見てみろ、テレビもげぇ~ラジオもげぇ~葉っぱもねぇべ、ハシシもねぇべ、コークなんかはまったくねぇ、おまわり、やくざと、ぐーるぐる。エイズもそれほど流行ってねぇべ、角さんと中曽根と数珠を握って空拝む。核もねぇ、戦もねぇべ、借金それほどするでもねぇべ、倫理もねぇべ、モラルもねぇべぇ、こんな村には哲学ねぇべ~、で、最後に"ほ~ら言わんこっちゃねぇ~" 核爆発音で終わる。アナログ・12インチ・シングル。1985年のとある発売日にいきなり発禁になったTHE HARD CORE BOYS (DJ K.U.D.O)俺ら東京さ行ぐだ(LATIN RASCALS風MEGAMIX)でラップ・デビューした、あのいとうせいこうの反逆の熱いオーラが、オラは、ぼっけぇ~、もんげぇ~、でえれぇ~、ぶち好きじゃった。30周年、おめでとう。
    選曲家 桑原 茂→ http://freepaperdictionary.com/
    https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/
    桑原茂一
  • まだ講談社の編集者かつピン芸人だったせいこうさんと新宿ロフトで共演してから、たぶん32年。長いつきあいです。
    ほぼせいこうさんに称賛される為だけに創作をした時期もありました。20代後半の何年かです。
    今はさすがに他の人にも向けて作っていますが、劇団員を含めた、「ちょっとでも手を抜いたらすぐに見破られる人」の割と筆頭には、
    今もせいこうさんが君臨してます。だから頑張れる。感謝しております。本当です。
    あのアルバムからもう30年ですか。愕然としながら、おめでとうございます。
    ケラリーノ・サンドロヴィッチ
  • 実は2回しか会っていないのに、あなたは私の中にずいぶん長くいます。レコードや本のせいですかね。
    一回目はあなたが20代、シティボーイズとライヴをやり始めた頃で、@読売テレビ。第一印象は「しつこい若者」。
    二回目はあなたが40代、厄年。SMAPの稲垣吾郎と我々3人でコント@どっかのTV。その時は、もうあなたは表現者として大きな存在になっていました。
    植物好きの私は長い間あなたの「ベランダー」の大ファンです。若いもんには感性と文章の教科書として読ませております。
    とりあえず一区切りおめでとう。
    変な垣根や壁を取っ払ったあなたはエライ。


    いとうせいこうさん 小林でした
    小林克也
  • 僕は一昨年還暦を迎えました。 還暦を過ぎてから益々、人との縁が無くなりました。 どこの誰も尊敬していませんし、どこの誰も見下してはいません。 皆同じで、皆他人である、という思いは募るばかりです。 従って誰とも酒を酌み交わしたいとは思いません。 ただ、唯一、いとうせいこうさんとは酒を呑みたいと思っています。 その確たる理由は霧のごとく不明ですが、とにかく他の人とはまるで違う。 だから、酒で無くてもお茶でも良い。 ただボーッと二人してお茶を飲むだけでも良い。 いや、むしろ酒やお茶など飲まなくても良いのです。 もっと言うなら、会わなくとも、遠く離れていたって良い。 一生一言も会話する事がなくても、いとうせいこうという存在は僕にとって特別です。 ゴンザレス三上(ゴンチチ)
    ゴンザレス三上 (ゴンチチ)
  • いとうせいこう君へ

    30周年か。そのままのつき合いになるね、私達とは。
    今、一番に思うのは、君に対する感謝だよ。
    溢るる「才」を惜し気もなく提供してくれた。どれ程助けられたことだろう。
    君は、きたろう氏を師匠と呼ぶが、イヤイヤ逆だろう、君が我々の師匠なんだと、私は心の底から思うのだよ。
    同じ時代に生まれ、多くの優れた友人達と共に同じ土俵に立っていることは、何と幸福なことであろうか。
    むろん君はまだまだつっ走るだろう波頭の上を。息抜きが必要となったら、やや枯れぎみの我々だが、止まり木くらいにはなれそうに思うんだ。
    斉木しげる (シティボーイズ)
  • 拝啓 いとうせいこう様

    せいこうさんと同じ時代に生まれて
    本当に幸せです

    "いとうせいこう史"は
    もはや自分のカルチャーの歴史でもあります

    これからも
    我々の好奇心をリードし続け
    生きる醍醐味をご教示下さい
    斎藤工
  • せいこうさんとの出会いは中学2年生。日本語ラップ/ヒップホップにどズッポリな俺は"MESS/AGE"の再発に速攻飛びつき、「おお、これがオールドスクールか!」と感銘うけつつも、現在進行形のスタイルとの違いを感じていたのも本音。その後、中古CD屋で"建設的"を手にすることが出来てからは一気にスタイルの違いとかを飛び越えて喰らいまくってしまってました。
    楽曲だけでなく姿勢を勝手に教えてもらい、気がつけば自分のイベント名を"建設的"にして始めたくらいです。そのイベントをやってた所はHIPHOP、R&Bしか認めないクラブだったのですが、店員さん含め徐々に洗脳していき気づけば平日で200人越えのパーティーに。通ってくれた多くの人が"建設的"と付けた意味を知らぬままかもしれないけど、横浜の所謂ステレオタイプな場所で自分を全開で出せる後押しをしてもらえました。
    勝手に"建設的Tシャツ"を作ってて、せいこうさんにお会いした時はビクビクしたけど笑ってくれて嬉しかったです!そしていよいよ本家"建設的"との遭遇!!ぶっかますしかない!!!
    【サイプレス上野】

    久しぶりにアルバム(建設的)を聴きました。今でさえお茶の間やテレビやラジオ、どこでもHIPHOPは聴けますが、当時の素晴らしきアナログ文化の中では限られた情報網でしかこのアルバム自体認知されてなかったんだろうなと考えると爽快に鳥肌が立つ。本当に素晴らしいです。せいこうさんのラップや、あのアルバム自体レベルミュージックであり、アナーキズムも感じる。この時代に生まれたかったな~なんても思います。
    自分達が横浜でやっているイベント、建設的、HIPHOPはもちろん、(HIPHOPミーツALLグッド何か)というコンセプトを元にやっています。そのコンセプトがまた色んな意味で酷く良く素晴らしい。オリジナルな面子の塊。飛び交う、飛び跳ねる人や色々な音楽、それらを思うと、アルバム建設的と自分の中であの状況を類似せざるを得ない。そんな事を考えさせてくれるせいこうさんにリスペクトを送ります。
    ライブ宜しくお願いします!!!!!
    【ロベルト吉野】
    サイプレス上野とロベルト吉野
  • せいこうさん

    30周年おめでとうございます。
    せいこうさんとは、レーモン・ルーセルの話ばっかりしてますが、
    実はあれも一つのラップなんですね。いま、気づきました。
    そんなふうに、いつもあとで気付くんです。せいこうさんの言葉や身振りの見えない意味に。
    あとで気付くから、生きてこって思えます。
    忘れたころに背中を押してもらってます。
    また一緒に話がしたいです。
    感謝!恭喜!
    坂口恭平
  • いとうさんが、夜霧のハウスマヌカンだった頃からの仲です。なんで知り合ったのかはよく分かりませんが、30年ぐらい前からそこにいとうせいこうとして居たことは確かです。

    ホントに硬派と軟派が入り混じってる、天才型の人だと思います。自分がこうだと思ったら、そうする体力と能力にあふれています。
    私はそれでいいと思います、いとうせいこうは。
    さくらももこ
  • 初めてお会いした10年前から今もなお、
    いとう先生からは"すべてに真剣であれ"そんな姿勢を教わってきたように思います。
    仕事。音楽。学習。交流。趣味。恋愛。
    すべて真剣に追求し真剣に面白がれ、と。
    そんないとう先生の作品が世の中に発表されてからの30年間。
    私も先生の言葉や佇まいに真剣を奮いおこされ今日まで邁進してくることができました。
    どれほどたくさんの人が、先生の発信されてきたメッセージに感化、激励されてきたことでしょうか。
    いとう先生、どうかこれからもお元気でご活躍ください。
    30周年、大変におめでとうございます。
    Salyu
  • いとうせいこうさんと言えば、限りなく昭和のあたたかさと宇宙的な輝きを持った、おそろしく頭のキレる方です。
    当時の彼をみては、こうゆう人が日本のいわゆる業界に新たな風を吹き込んでいるんだ、
    おもしろい世の中だなと感じた思い出が深く残っています。
    そして私は、なんと彼の妻役をPVの中で演じる(歌う)大役を授かったのです。彼は歌もでたらめにうまかったです。
    おめでとう30周年。
    せいこうさんも私のように300周年を迎えてくださいね。
    Sandii
  • "業界くん物語"の頃から一方的に存じ上げていましたが、
    現場でご挨拶する程度だったのが、
    JP2HAITI(ハイチ支援プロジェクト)を通じぐっと仲良くなりました。
    今では自分がプロデュースする番組「フリースタイルダンジョン」の審査員長を務めていただき、
    オンカメラオフカメラ問わず、常に冷静で的確な判断力で番組を引っ張ってもらっています。
    その番組内や自分と高木完さんとで主催したイベント「HARDCORE FLASH」でもライブをお願いしましたが、
    ラッパーとして孫世代に当たる連中がウジャウジャいる中、
    鋭い眼光で一歩も引かずにブチかますその姿はまさに圧巻でした。

    知識と経験が裏付ける揺るぎない自信がせいこうさんの何よりの魅力です。

    30周年おめでとうございます。
    現役バリバリどんどん進化するせいこうさんは、
    大人ヒップホッパーの鏡として、これからも勉強させてください。
    Zeebra
  • いとうさん、デビュー30周年、おめでとうございます。
    しかし、2016年は周年ラッシュなのか、
    矢野顕子さんは今年でデビュー40周年であり、
    森山良子さんなどは今年で50周年、内海桂子師匠にいたっては、なんと80周年、とのことでした。
    そう考えますと、まだまだ子供のようなもの。
    ますますのご成長を期待しております。
    清水ミチコ
  • ラッパーとしてのせいこうさんが大好きなんです。
    なのでライヴに行きたいと常に思っています。
    せいこう師匠の書いてくれたラップをぼくがやるとfolk bluesになりますが、
    以前よく浅草の家にお邪魔すると照れ屋さんで頭の回転の速さは尋常でないことがよくわかります。
    今回は30周年ですが、300年走り続けてください。
    おめでとうございます。
    白井良明
  • 藤原ヒロシくんとやってた「天然ラジオ」というラジオ番組が大好きで毎週聞いていてそれで、
    すごいファンになりました。そして今でもファンです。
    「建設的」が出た時のライブには(東京近辺の、公開収録的なのも含む)だいたい行ってるはずです。
    みうらさんとスライドショーを始めた時は好きな二人がコンビ組んでやったんで気絶しそうになりました、楽しすぎて。
    これからもずっとファンでいるのでよろしくお願いします。
    【ANI】

    せいこうさんが舞台やライブのステージ上でやっていたようなスタイルを指針にして、
    ぼくは自分の立ち振る舞いを決めてきたような気がします。
    真ん中に立っていて、マトモで、シラフで、パキッとしたあの声でキビしく突っ込む人、というキャラクター。
    ラップがどうとかいう以前の、芸人としての完璧なお手本。
    しかし、このお手本があまりによく出来すぎていて、ただのモノマネにならないようにするのは大変でした。
    そうやって、なんとか自分のキャラとかやり方を模索しながら今に至るのですが、
    近年、レキシなんかに少しイジられながらニコニコしている、新しいせいこうさんを観るにつけ、
    自分も早くこうなっていかないとダメなんだろうなと思っている次第であります。
    【Bose】

    当時16歳、高校1年生の自分にはとにかく衝撃的なアルバムでした。
    今の自分を司る、ある部分になっている事は間違いありません。
    何しろ興味のある人だらけの人選にクラクラきてました。
    タイニーパンクスと有頂天と大竹まことさんが一つのアルバムに入っていて夢のようでした。
    日本語ラップとしても、歴史的名盤なのは間違いありません。
    このアルバムに出会えて、30年たった今でも本当に良かったと思います。
    【SHINCO】
    スチャダラパー
  • 「リアルタイムで買いました。パンクとロックしか知らなかった当時のガキがどうして「建設的」を買ったのか未だに謎なんですけど、無意識に作品に込められたパンク魂を汲み取ったからじゃないかと推察してます。以降、後輩としてパンクないとうさんの背中を追いかけて育ちました。不肖私がモデルとなって「ワールズエンドガーデン」に登場する『イチオ』は現在私のひとり息子の名前に受け継がれています。いとうさんファンの一人としてこんな重畳なことがありますか!?」
    須永辰緒
  • 先生、30周年、おめでとうございます。やり続ける、居続けるのはすごい事ですね。
    40周年、50周年、100周年と、楽しみにして居ります。
    スネオヘアー
  • いとうせいこうさんは、ボクにとって一歳、先に生きる先生です。
    ボクが漫才師としてデビューした24歳の時、黄色の鼈甲の眼鏡をかけていたせいか、「お笑い界のいとうせいこう現る!」などと一部で言われました。
    せいこうさんは、既に若くして売れっ子だったけど、あの頃は、何界にいたのでしょうか?

    数年前、せいこうさんMCの番組『オトナの!』のゲストに呼んでもらったとき、「博士に会うと照れて言えなかったことをこの機会に……」と前置きして、こう語ってくださいました。

    「オレさ、それこそ片足テレビに突っ込んで、片足違う事やってて、でもテレビに対する片足もすごい浅かった時期があるわけ。つまり斜めに構えててね。それは浅ヤンですよ。何回か出たんだよ。で、博士とかと共演したの。とにかくオレは違和感しか無いわけ芸能界の。オレは違うし。なにしているか分かんないけど、とにかく言いたいツッコミだけ言って帰ろうと思ったら、博士がスーッと寄ってきてくれて、『せいこうさんのバラエティ、やっぱキレてますね!』って言ったんだよ。おぼえてないでしょ? オレはその言葉、すごく大きいんだよね。それじゃあオレ、バラエティってものをやってもいいのかぁ……と思った」

    この話は、20代の終わりにボクが、テレビ東京で「浅草橋ヤング洋品店」のレギュラーをやっている時の話です。
    それを改めて、お互い50歳を過ぎて言われるとは……。
    あの頃のせいこうさんは、何界にいたのだろう?

    芸能界でポジションを見失っている時、いつも、せいこうさんを思い浮かべます。
    あの人だって道に迷ったこともあるんだ、と。
    そして、周囲を見渡し、せいこうさんの轍を探します。
    これはボクだけではないでしょう。
    芸能界、出版界、音楽業界、演芸界、あらゆるジャンルに、あらゆる細部に切り開いてくれた道があります。
    未開の地を行く、せいこうさんは、野面のまま。
    道は、舗装もされていないし、大きな幅もありません、でも、その小路があることが、どれだけ後進を導いてくれたことか。
    感謝しかないですね。
    水道橋博士
  • いとうせいこう氏と初めて会ったのは、いや観たのはが正しいでしょう。
    ビックリハウスのコンテストだったと思います。そこで披露されたモノは
    全く覚えてないのですが、天才だと思ったのでした。そして今もそう思い続けてます。
    覚えてないのになんでだろ。建設中のマンションを見上げたり、スキヤキを食べたり、
    仏像を観たり、浅草で天丼を食べようかなと思ったりするたびに、覚えてないコンテストを思い出す。
    もちろん、お会いしたり、10秒ほどお話したり、観たり、聴いたりということはありますが、
    その何十倍も私は、いとうせいこう氏の顔を思い浮かべてるのです。
    2011年4月17日の、道との遭遇での演説が素晴らしかった。内容は覚えてないけど。
    いとうせいこう的とは、そういうことかも知れません。存在を残し、細部は残さず、
    後々気になってくる。私が、いとうせいこう氏の為すことのスピードに追いついてないのかも。
    でも、そんなこんなで「建設的」から30年。再び聴いております。
    そして、心からお祝い申し上げます。

    10周年の第一次活動休止から30年のムーンライダーズの鈴木慶一
    鈴木慶一
  • 高校生の時に読んでた宝島という雑誌で初めてせいこうさんを知りました!!
    ラッパーだと思ってたら、小説家だったり、司会者だったり、コントしてたりと、なんだか分からないけど、凄い人だとは分かりました!!
    以前ビートたけし師匠のライブの打ち上げでご一緒になった時、
    たけしさんの大ファンである大谷とたけしさんのツーショット写真を大地がスマホで撮ってあげてました。
    その時、たけしさんの大ファンでは無い大地が片手で適当に撮っているのを見て、せいこうさんが「たけしさんを適当に片手で撮るんじゃない!せめて両手だろー!!」とツッコんでくれました。
    というか、あれがツッコみなのか、本気なのかまだハッキリしてないので、今度聞いてみます!!
    絶対になれないって分かってますけど、憧れの存在す! マジです!! なので、今後ともよろしくお願いします!! 飲みに連れてってください!!!
    ダイノジ
  • 1986年 六本木インクスティック。いとうせいこう&タイニーパンクス。東京ブロンクスが出来る前のライブは、ラップだけではなく、せいこうは得意の芸を織り交ぜながらやるMCスタイルだった。僕もまだラップの歌詞はいくつかしか無く、基本はサイドMC役でコール&レスポンスを務めていて、say ho! のコールの後にscream! で客からシャウトをもらうルーティンをいつも試みていたが、あの頃はhoのレスポンスはあってもscreamのコールには同じくscreamのレスポンスがかえってくるのが常で、コール&レスポンスが成立しているとは言えなかった。その日、1回目のギグを終えてから家に戻って2回目のギグ直前に戻ってきた僕を待ち受けていたのは、いとうせいこうの本気だった。2回目のギグで、せいこうは僕のho! の後、scream! と、僕が言う前に、騒げ! と、言い放ったのだ。それまで、GOGOのビーツでゆらゆらと踊っていた客は狂ったように盛り上がった。ステージを支配していたのは完全にせいこうだった。
    あれから30年たつが、僕はラップのギグで一度たりとも騒げ! を使っていない。
    高木完
  • せいこうさん、デビュー30周年おめでとうございます。
    1986年9月21日「建設的」発売日、実は僕の17歳の誕生日なんです。
    当時耳慣れない日本語ラップと、せいこうさん、ヒロシ君、完ちゃんの
    オリジナルパンクファッションのMIX、全てが衝撃でした。
    僕も当時レコードを買い、フォロワーの一人ですが、皆さんが築いた東京サブカルチャーの礎、ホント偉大だと思います!
    感謝とリスペクト、これからもラジカルな活動期待しています!
    高橋盾 (UNDERCOVER)
  • 『建設的』から30年ですか。
    このアルバムは、その前年に僕とムーンライダーズで立ち上げたT・E・N・Tレーベルからリリースされたものでしたが、どういう経緯でそうなったか、まったく覚えていないんです。
    前作『業界くん物語』を聴いて、これは傑作!と大喜びした記憶はあるので、その流れでお誘いしたのかなあ。
    そういえば、ビデオ版『業界くん物語』に出演してるんですよ、僕。でも、最初にいとうくんと知り合ったのがいつの頃だったのかは、忘却の彼方で。
    「なんかものすごく面白い若者」として登場した、そんな印象が残っていますが、彼が何者なのか、本当のところはよくわからなかった。
    たしか最初は「大学生らしいよ」ということで、でも、そのときすでに原宿にあったピテカントロプスにお笑いで出演してるらしい、と。『業界くん~』の頃は編集者だったでしょうか。
    『建設的』のときはアーティストとして見てましたけどね、今や日本のヒップホップ黎明期を飾る記念碑的な作品と言われているこのアルバムですけど、その頃の僕はそういう認識は薄くて。
    だって僕が提供した曲なんて、はっぴいえんどオマージュで、「いとうくん、大滝さん風に歌って」なんてやってたんですから。あの頃、ラジカルガジベリビンバはもうスタートしてたのかなあ。
    ……そんなこんなで30年。たまに会って話をしたり仕事をしたりのおつきあいですが、やっぱり彼が何者か、本当のところはよくわからない。ハチメンロッピのご活躍は見てますけどね、その正体は……。
    これからもきっとそのスタンスは変わらないでしょう。いつまでも得体の知れない面白い人でいてください。
    ま、リクエストするとしたら、はじめて会った頃の毒入り笑いをもう一度観てみたいものですが。
    高橋幸宏
  • 「建設的」30周年おめでとうございます!
    思えばせいこうさんと僕は、30年来のそこはかとない知り合いでしたが、キチンとお話しすることはありませんでした。
    それが2年ほど前、せいこうさん原作の「ボタニカル・ライフ」のTVドラマ化「植物男子ベランダー」を僕が演じることになり、それ以降ようやく親しくお話しさせてもらうようになりました。
    そして今では、僕を植物の世界に誘い、「独断で愛すればイイのだ」とフラワーラブに目覚めさせてくれたせいこうさんは、心のマイ・ボタニカル師匠であります!
    さらにせいこうさんは僕にとって、常に自らの興味あるジャンルを自由自在に行き来する童顔の怪人=越境者です。
    それはまるで、都会に生息するエアプランツのように奇抜で感動的な生命体なのです。コノ建設的終末の中で、改めて出会うことが出来てひじょうに光栄に感じています。
    残りのこれからを、ひとつヨロシクお願い致します!
    田口トモロヲ (LASTORDEZ)
  • せいこうさんに会うと、僕はもう兎に角縁起が良い感じがするのですよ。
    あの柔らかい人当たりと素晴らしいオーラに癒されて、僕はもううっとり夢見心地になってしまいます。
    田中知之 (FPM)
  • せいこうさん、30周年、本当におめでとうございます。
    昔から、ずっと応援していただき、とても嬉しいです!!
    せいこうさんのお陰でユーロスペースで毎年単独をやらせてもらえるようになりました!
    必ず期待に応えられるように、頑張ります!
    本当に感謝してます。
    これからの益々の飛躍を期待してます。
    ダブルブッキング
  • メジャーデビュー30周年おめでとうございます。
    いとうせいこうくんは学生時代から有名でその当時から名前は知っていました。
    卒業して何年か経って番組を一緒にやろうと持ち上がったのですが、様々な事情があり実現できませんでした。
    その事がずっと頭に残っています。
    今後何かありましたら実現するといいですね。
    益々のご活躍をお祈りしております。
    タモリ
  • せいこうさんには、いろんなところで長らくお世話になっておりますが、2014年僕達のW還暦コンサートの際には、ライブ共演はもとより、何の打ち合わせもせずに司会的なことまでお願いし、それを見事にやり遂げて下さったこと、誠に感謝しております。ということで、今度の30周年祝賀会は、何の打ち合わせ もせず自分達の演奏をやり遂げたいと思っています。本当におめでとうございます。 
    チチ松村 (ゴンチチ)
  • せいこうさんは私にとっていつまでたっても追いつけない人だなー
    感性も、人生に対する姿勢も…
    私はアナログなんで…
    でも、何か一緒に仕事したいな~
    テリー伊藤
  • せいこう先生、30周年、おめでとうございます。

    去年、フジテレビの『オモクリ監督』で共演する機会がありましたね。
    その収録へ向かう際、ゆりかもめの車内でバッタリお会いして、
    隣に座って2人でお台場まで行きましたね。
    あの時間、とてつもなく最高でした。

    僕にとってはずっと憧れの人です。そして、恩師だと思っています。
    自分が若かった頃から今まで、何度も背中を押してもらいました。
    本当に感謝しています。
    堂島孝平
  • 当時24歳の僕は企画書100本出してようやく大阪のテレビ局で深夜番組の枠をもらって面白いものを探しに東京にやってきていた。
    「いとうせいこうという面白い奴が君の大学の後輩にいるよ」というのが、中村有志さんのマネージャーをやっていた東海枝さんからの情報で、電話番号知ってる?で、10秒後には電話したと思う。
    後輩ってことで僕は勝手にうれしくなってけっこう長年の知り合いみたいな口調で大阪においでよと誘ったのを良く覚えている。
    いとう君はもちろん、そんな知らない僕にとまどっていたけどね。

    番組にはシティボーイズショーのメンバーとかにも出てもらっていたので、
    そんなかんなで大阪でラジカルの舞台公演をやったりしつつ、東京に出た僕はタイレルコーポレーションという会社を作り、目の前のテレビ朝日の朝のこども番組にシテイボーイズや中村有志さんらに出てもらったりしていたら、いとう君は講談社に入社してホットドッグプレスの編集者になっていた。
    その後、オーストラリアロケでラジカルガジベリビンバのオリジナルビデオを撮影に行った。
    砂漠の現場では本番だっていうのにみんなダラダラおしゃべりしちゃってるので、本来は用意スタートって言う所、「元気?!」って言ってしまって、そしたらいとう君が笑い転げて中野さあーん(笑)って言ったのも網膜に焼き付いてるなあ。

    講談社をやめて、僕の会社と彼が作ったエムパイアスネークビルディングという会社で西麻布のめし処ビルの最上階を借りてシェアした。

    そこでいとう君はアルバム、「建設的」と、「業界くん物語」を作り出し、世界の坂本龍一さんの横にアンディウーホールの銀カツラをかぶって立って、教授には右手にミドリガメ左手にコンパクトカメラを手に持ってもらって「カメラはカメよりラが多い」などのショートコントをいとう君は考えてはクククッって笑っていた。

    まあ、いとう君は「僕よりも若くて頭よくてキレキレで才能あふれている奴」っていうのは今も変わらないし、優しい目と、「狂ったように~」という
    いとう君の好きなしゃべりはじめの枕詞をしゃべるときの嬉しそうでキレた目が大好きなんだよなあ。
    中野裕之
  • せいこうさんとの出会いは森くんが引っ越した先が
    せいこうさんの家から近所で
    森くんがご近所づきあいをさせてもらったのがきっかけで
    わたしも仲良くしていただけるようになりました
    その後 私たちのLIVEにゲストで出ていただいたり
    番組によんでいただいたりしました
    私が大阪出身と言うこともあり
    大阪の古典芸能である 義太夫を習ったらいいと勧めてくださり
    先生を紹介していただいたりしました
    せいこうさんには歌手としての思いの伝え方を
    言葉を通してどのように表現したら良いかと言うことを
    話していただいたことがあります
    歌を歌う時の大切なこと
    柔らかさ 凛しさ 重み 深み 渋み
    言葉と歌と思いの関係性と言ったような
    ものすごく大切なことを教えていただきました
    せいこうさんはたくさんの知識を持ったというには留まらず
    その先に進んで行く大切な知恵というものを
    持っておられるように見えます
    ふわっと魔法の粉を降りかけるように
    きらきらした言葉を降りまいて
    一つ一つもらさないように
    瞬きも忘れてつかみとりたくなります
    そんな驚きと感激を求めて
    たくさんの人たちがせいこうさんのまわりに集まってくるのだと思います

    いろんなことを考えさせられるきっかけをいただき
    ほんとうに感謝しています
    ありがとうございます


    そして
    30周年おめでとうございます

    これからもせいこうさんのご活躍
    心から楽しみにしています

    せいこうさんの一ファン

    中納良恵より
    中納良恵 (EGO-WRAPPIN')
  • そんな、と思われるかも知れないが、今だに、映画『男はつらいよ』シリーズをよく観る。笑う為ではない。圧倒的な人生の寂寥感を味わう為にである。役者 渥美 清 演じる 車 寅次郎の目に、いつも、いとう せいこうを思い出す。何故? 何故だろう… なにが通低しているのだろう… 求めても求めても叶わぬ世間との関わりようのあり方。そして他人への愛の形。車 寅次郎も いとう せいこうも、その冷たい眼差しの奥に、求めても求めても叶わぬ何かがあるのだろう。そのつらさが、わかっているから、両者とも、あんな冷めた目をして、それでも、前に進もうとするから、(壊して創ってを繰り返し続け)自ずと狂気をおびてくる…そういうことでないだろうか。当人にとっては悲劇でも、他人から観れば喜劇。悲劇に裏打ちされた喜劇人は、人々に愛される。いとう せいこうは、愛される。
    中村ゆうじ
  • せいこう先生とは、10年ほど前にスペースシャワーTVで放送されていた「熱血!スペシャ中学」という番組で、先生と生徒として共演させてもらったのが最初の出会いです。なので、今でもつい「先生」と呼んでしまいます。
    せいこう先生は、普段から思考自体が音楽だなあという印象があります。ジャムバンド的というかフリースタイル的というか、人との関わりの中でアイデアや言葉が一瞬で変化して行って、何気ない会話がセッションのようです。よく「声が楽器」という表現がありますが、さながら「脳が楽器」という感じでしょうか。
    アルバムデビュー30周年おめでとうございます。これからも、いい意味で30年の重みを感じさせない、軽やかな活動を期待しています。
    永友聖也
  • せいこうさん、30周年おめでとうございます。

    誰かがはやく気づくべきだった
    平気で生きるやり方を
    あるいは本気でただれる道を
    (噂だけの世紀末)

    なんて凄いリリック。

    無茶かもしれませんが、
    そのまま突き進んで、
    次の世紀末もラップに変えてください。
    七尾旅人
  • 自分がまだ田舎にいて、まだNIGO®と名乗っていなかった頃、
    ノイズまじりで『天然ラジオ』と『FMブランニューウェーブ』を欠かさず聴き、
    『業界くん物語』で業界にあこがれ、キングオブクリエイターになることを目指し上京しました。
    いとうさんがエディター時代の『Hot-Dog PRESS』は今でもアトリエの本棚に置いてあり、
    DJをやるときは『東京ブロンクス』のモンクベリーズのライブバージョンで始まります。
    『建設的』がなければNIGO®の存在はなく、間違いなく自分の人生を変えたアルバムです。
    建設的30周年おめでとうございます!
    NIGO®
  • せいこうさんは僕にとって恩人であり、師匠のような存在です。デビューして3~4年のまだ全く無名だったバカリズムをせいこうさんは面白がってくれて、そこからいろんな企画に誘ってくれたり、何か面白そうな事を見つけては「お前もやれ」と勧めてくれます。
    せいこうさんがいなかったら間違いなく今のバカリズムはなかったと思います。
    僕はせいこうさんの「面白がるセンス」が大好きで普通の人が興味を持たないような事でも独自の目線で面白がるせいこうさんに憧れます。
    ただ、自分に取り憑いた野犬の霊まで面白がってしまい、「飼いならす」と言って未だにお祓いをしていないのは少し心配です。
    せいこうさん、さすがに霊はそんなに面白くないと思うのでいい加減お祓いして下さい。
    あ、30周年おめでとうございます!
    バカリズム
  • 絶対的安心感と
    背筋の伸びる緊張感を兼ね備える二刀流
    これが僕の中の

    いとうせいこう

    です。

    「建設的」リリース30周年おめでとうございます。
    あの12inch、早く譲り受けなくては、と思っています。
    ハマ・オカモト (OKAMOTO'S)
  • 30周年おめでとうございます!
    せいこうさんと知り合ったのは、ワハハ本舗を立ち上げた時からなので、32年程前になるかと。
    当時は、せいこうさんはじめラジカルガジベリビンバシステムとワハハ本舗が番組や営業も含めご一緒することが多く、
    せいこうさんプロデュース業界くん物語でも、ワハハの女優陣も参加させてもらって、
    女性の喘ぎ声をかなり長くーハァハァアヘアヘ、、、ーマイクの前で演っていて酸素不足! 頭クラクラしたの覚えています。
    あと、やっぱ!!
    せいこうさんといえば、ドップラー効果でしょう!!
    そして、黄色いメガネと言えば、せいこうさんか、笑福亭笑瓶兄さんでしょう!!
    いつもいつも面白いことを追求してるせいこうさん、したまちコメディ映画祭も凄い!!
    今でもワハハメンバーお世話になっております。感謝!!
    今後ともヨロチクビー!!!!!
    久本雅美
  • いとうせいこうさん30年、おめでとうございます。
    ぼくはいとうさんの言語表現はどれも文学だと感じています。
    一貫して言葉で勝負してこられたいとうさんが文学のフロンティアを広げてくださったおかげで、日本語文学はこうしてまだ存在しています。
    いとうさんの言語活動が、また近いうちに訪れるであろう第3期(新生代?)に小説として爆発することを予感しています!
    31年目以降も、自由と倫理と可笑しさを擁護し続けてください。
    最近になってようやくヒップホップを少しずつ聴くようになっている星野。
    星野智幸
  • いとうさんおめでとうございます。いとうさんとはシティボーイズのテント公演でご一緒させてもらいました。改めて自分の好きな笑い、好きな音楽、好きな映画、好きな本、いとうさんに教えてもらったものの多さにびっくりする。といっても、直接教えてもらったものはなく、いとうさんが本の中で紹介してたりしたものだ。いとうさんに直接言ったことはないが、いろんな先輩に影響を受けながら仕事をしているが、たぶん、というか間違いなく、いとうさんに一番、影響受けている。ああ、おれももっと面白いもの作ります。
    細川徹
  • せいこうさんのツッコミはいずれ世界遺産になる。
    幸運にも、僕は90年代にそれをたくさん、いただきました。
    あの快楽は生涯忘れることはない。
    【YO-KING】

    せいこうさんのお陰でタバコやめることができました。
    10年ちょっと前、ブログ上で突然、せいこうさんと禁煙対決をすることに。
    1日もたず挫折したいとう先輩をここぞとばかりに「がっかりだ」「無煙大陸で待っているよ」などとこき下ろしまくった手前、
    もはや吸うわけにもいかなくなり、結果当方無事に禁煙に成功。
    その節は、まことにありがとうございました。今も無煙大陸にて、先輩をお待ちしておりますよー!
    【桜井秀俊】
    真心ブラザーズ
  • 一所に不在で、各所に遍在できる。
    空中からイメージを持ってきて、その場をマネージしてみせる。
    だから相槌と連想力の異能をもっている。
    すぐれた作家する能力を、すばやい作歌する感覚が追い抜いている。
    日本にめずらしい多能主義者なのである。
    けれども実は、RAPのセイコーとZAPのセイゴーは
    生前から鏡像反映的に連携していたとおぼしい。
    松岡正剛
  • 不良って「良」を知らないと不良としてふるまえないじゃないですか。良を知りたい好奇心と、不良として居たい故の知らないふり、のせめぎ合いが不思議な魅力を醸し出しているのかなと思います。好きです。
    三浦康嗣 (□□□)
  • あなたが□□□に加入して今年で7年が経ちましたが、
    そのほとんどの我々の時間は、ばかばかしい会話が占めています。
    あまりの非建設的な間柄に、正直心配しています。
    心配してますが、今後ともそのままでよろしくお願いします。
    村田シゲ (□□□)
  • きっかけは、当時 浅草在住同士という事もあり、雑誌企画の浅草食堂を巡る 相手役で呼んで頂きました。

    エピソードは多々ありますが、僕の独り即興演奏にせいこうさんの狂気迫る朗読と宮崎さんのキラーなMIXに包まれ、知らない世界に連れて行かれました。「DUBの世界へようこそ」って言われ なんか少し大人になったような気がしました。

    自分にとって せいこうさんは、ほんまみんなが言うとこの先生であり、師匠であり、なんでも返して来てくれる安心感がハンパないですね、その返しがまたユーモアがあって品があって… 率直に憧れてます。


    僕が東京ブロンクスのリリパの海賊VHSをたまたま持っていて、せいこうさんがそれを大学の講義に使いたいと言われ久々に見直したらかなり画像は劣化、音も良いとは言えない状態でしたが、熱量だけは関係なく伝わって来て、ラップとかヒップホップ以前になんか パンクロックのライブみたいな感じで興奮しました。
    あらためて音楽に熱は重要やと深く気づかされました。
    森雅樹 (EGO-WRAPPIN')
  • 30周年おめでとうございます。
    初めてお会いしたのが80年代初頭、原宿にあったピテカントロプスでした。
    クールで面白く聡明な感じ。
    今も同じなのがステキです。

    何はともあれ、今、Dub Forceを
    一緒に出来ている事が、幸せで楽しみです!
    屋敷豪太
  • 先生!
    CDデビュー30周年、
    おめでとうございます!
    先生とは、初めての出会いがスペースシャワーTVの「スペシャ中学」でした。
    せいこうさんは先生役だったので、
    今でも会うと先生と呼んでしまいます。
    先生からもらった通信簿は、いまでも大切にとってあります。ふふふ。
    最近お酒を飲むようになったと聞きましたが、
    飲み過ぎないよう気を付けて下さいね。
    いつまでも面白くて、最高にかっこいい先生でいて下さい!
    安めぐみ
  • 僕がせいこうさんを初めて見たのは、当時NHK教育テレビで放送していたYOUという番組で、早稲田大学にとんでもなく面白い若者がいるというVTR、そのとんでもない若者が、僕のいとうせいこう初体験でした。YOUはたしか土曜日の夜10時から放送されていた番組で、小学生の僕はその時間までは、つまり番組終了の11時頃までは起きていられず(そんな荒技をするのはゴールデン洋画劇場のジャッキーチェンの映画以外はさすがに難しく)、土曜日午後2時からの再放送をもっぱら観ていたのでした。せいこうさん、アパートのベランダに立ってずーっと外に向かって喋りまくってるVTRだった記憶があります。ジャージ着てね、緑の。線の入ったやつ。小学生ながら好きなタイプの人間だと思いましたよ。ヤなガキだね。
    しばらくするとYOUは番組終了し、後番組として土曜倶楽部というのが始まり、今度はその司会がせいこうさんでした。もしかしたら、司会のせいこうさんが初体験で、若き日のせいこうさんは、再放送の再放送だったかもしれないけど…いずれにせよ小学生の頃から僕はせいこうさんの馴染みだったわけです。勝手にね!
    せいこうさんは日本のヒップホップの先駆者の一人でもあり、僕らの世代だとTV朝日、虎ノ門の司会も鮮烈な記憶です。なんだけど、教育TVがらみのせいこうさんはやけに印象深いんですよね。作家の埴輪雄高氏が自らの著作である死霊について語る番組を当時教育TVが放送して、しかもそれを何回かのシリーズでやったんですよね。たしか僕は中学生か高校生の時。僕も観ましたよ。勿論、死霊は読んでません(笑)、ただこの放送がとんでもなくヒップなものだという磁波動はビリビリ伝わって来ました。その後、教育TVのインタビューにせいこうさんが、この埴輪雄高氏が死霊を語る番組にふれて、ああいう企画はETV8(教育TVのなかの番組名、たしかETV8だった)でしか出来ないのだから、と答えていて、思春期心に、埴輪雄高もいとうせいこうもなんてヒップなんだ!と思ったのでした。すごいでしょ、読んでもない本の番組を観て、埴輪雄高といとうせいこうと同じ土俵の気分に浸れてると錯覚してしまう憐れな子供(笑)健康って哀しいね。誰かこの子に愛の手を!
    そして近年、心に響いたのは想像ラジオ。これは僕がここであれこれ低レベルな解説をする必要もないでしょう。いま思い出しても涙が出てきちまう作品です。僕は名盤と呼んでいます。あれはね、強い強い鎮魂なんだな。福島出身の僕は作品に救われたという気持ちがあります。せいこうさんありがとう。
    ありがとうといえばそうだ!したまちコメディ映画祭で巨星、北野武さんとサンボマスターを共演させてくれたのも、せいこうさんだ!あの時の体験がどれだけ励みになっていることか。
    兎にも角にも、せいこうさん、あなたが居てくださるおかげで、僕は随分長い間、幸せな気分になる事が出来ていたのだと、書いていて改めて気付きました。多分こういう人間は僕だけではないでしょう。つまりあなたは僕の大切な人です。僕はこれから前よりもっとあなたを大切な人だと思うことを誓います。乱文にて失礼いたしました。山口隆拝。
    山口隆 (サンボマスター)
  • いとうは私の会社員時代の「生意気な後輩(いい意味で)」だった。
    お互いに会社を辞めて年を取り、今では彼の方が「人生の先輩(いろんな意味で)」
    になってしまったが、
    いつまでも「生意気盛り(辞書的な意味で)」のまま暴れ続けてほしい。
    山田五郎
  • デビューアルバム「建設的」から30周年おめでとうございます。時の流れは早いものですね。
    「業界くん物語」のアルバムの1曲として出来上がっていた「夜霧のハウスマヌカン」のレコーディングに5万円のギャラで参加するところから始まり
    その後、まさかのシングルカット、私の人生を変えてくれた「夜霧のハウスマヌカン」
    気が付けば、大きなステージで重いブロンズ像片手に最優秀新人賞頂き
    「夜霧のハウスマヌカン」を泣きながら歌っていました~あー懐かしい!
    いとうせいこうさんに作詞して頂いた「夜霧のハウスマヌカン」
    この曲との出会いがなければ ややの存在はなかったことでしょう。
    勿論、今の私もないわけです。
    30年前講談社で初めてお会いした若かったあの日を思い出します。
    ギラギラしていたせいこうさんに圧倒されたことを・・・・・
    才能と個性豊かな感性でこれからも益々活躍してください
    出来ればもう1度、私に楽曲を・・書いてくれ・・・ませんか?・・・・ 
    やや
  • 僕はミュージシャンとしてのせいこうさんのことは、実はほとんど知らないんです。僕の中のせいこうさんは『HIP-HOPの先駆者』でも『小説家』でもなく、色んな事ができる『尖った狂気の司会者』なんです。
    初めて彼をSSTVで見た時は、視聴者にケンカを売るかのような、まるで犯罪者のような目をしていて、おかっぱで、誰もかけないような眼鏡をかけていて…凄く怖かった。

    こんなに長い付き合いになるとは当時思いませんでした。
    今や僕のなりたい50代No.1です。末永くよろしくお願いします。
    ユースケ・サンタマリア
  • いとうせいこうデビューアルバム「建設的」30周年記念によせて

    デェビューアルバム「建設的」30周記念、おめでとうございます。いとうせいこうさんとお付き合いさせて頂いたのは笹塚ボウルで開催している『東北復興支援チャリティーイベント』からです。このチャリティーイベントの発起人でもある「レコード番長」こと音楽プロデューサーの須永辰緒さんにご紹介頂いただきました。
    おかげさまで、いとうさんのマルチなご活躍振りをぐっと身近で感じられるようになりました。大いに我が好奇心も刺激して下さっております。
    "風狂老人"まっしぐらの境遇ながら、30年を超えて吹きまくる‶いとうせいこう旋風″の煽りに浴させて頂ければ幸いです。
    吉田類
  • いつもものすごーくかっこいいいとうさん、愛してます。 
    吉本ばなな
  • ヒップホップという「思想」が次世代のスタンダードになるという確信(後にそれは世界規模で現実化した)。そして、その思想はどんなフィールドでも最強の武器たり得るのだということを証明してみせる実践的活動(と同時に、ひとたびステージ上でマイクを握れば肉体的にも常に"現役"であることを見せつける技術と胆力)ーーアンダーグラウンドとメジャー、知と痴の間を当然のような顔で行き来するフットワーク含め、僕のキャリアのすべては、そうした「いとうせいこうイズム」に学ぶことから始まり、今も多くを負っているのは疑いようもありません。結果行き着いた先が似ても似つかぬものだったとしても……いや、だからこそ。

    つまり、あえて言いきってしまえば、直接の師弟関係はなくとも、自分こそがいとうせいこうの精神的一番弟子なのだーっ!
    ……と、内心思ってるヤツ、僕のほかにも一万人くらいいるんだろうなァ。
    【宇多丸】

    今から30年(!)近く前の話です。当時高校生で超マイノリティーであったヒップホップ好きの僕に、ヒップホップとはなんなのか、日本語でどう韻を踏むか、日本人としてどうヒップホップすべきか、わかりやすく教えてくれたのは全部せいこうさんでした。その後自分たちの世代でいわゆる『日本語ラップのベーシック』みたいなものを作り上げることが出来ましたが、それはせいこうさんの作った土台の上に成り立っているのです。オレのフロウは完全にせいこうさんのスタイルの延長線上にあります。マジっす。
    30年後、こうしてイベントに参加できることはとっても感慨深いです。呼ばれなかったらイジケてたと思います。呼ばれてよかったです。
    【Mummy-D】

    この度は、おめでとうございます!せいこうさんというと知性はもちろん、いやむしろ動物的な運動感覚性がハンパないと思います。いままでもこれからもリスペクトしています
    【DJ JIN】
    RHYMESTER
  • 30周年おめでとうございます。
    いとうせいこうさんの影響で、
    いとうせいこうさんに影響を受けた人達の影響で、
    のびのびとRAPをさせてもらっています。
    ロックンロールスライダーズも大好きです。
    LITTLE (KICK THE CAN CREW、UL)
  • 足軽先生が背中を押してくれなければ今のレキシはなかったですね。そして先生の中のミュージシャンを再び呼び起こす背中を押したのもまたレキシだと思っております。弟子として、そして息子として最後はあたくしも死水をとりますので、これからもよろしくお願いします。
    レキシ
  • 浅草に住んで11年が経ちました
    いとうさんの、「浅草に引っ越して来い!絶対いい事あるぞ!」という、強い薦め(命令?)のおかげです。
    その後、多くのミュージシャン、アーティスト達が、いとうさんに引き寄せられるように大挙して浅草近辺に引っ越して来るようになりましたが、私がそのハシリだったのではないでしょうか?
    思えば、引っ越しの荷物運びまで手伝わせてしまった事もありましたね(笑)大変失礼致しました。
    「面倒見はいいけど、実はベタベタしない」という、浅草人の神髄をいとうさんから学びました。
    たまに、サシで会ったり、御輿を担ぐフンドシ姿のいとうせいこうの追っかけをしてみたり(笑)、程よい距離感を保ちながらも、つねに頼りにしてました。
    「近所にいとうさんがいる!」っていうだけで心強いのです。
    今後も必要以上にベタベタはせず、でも「ここぞ!」という時の心のアニキでいてください。
    いとうさんのせいで、浅草を離れられなくなっちゃって、まだあの家に住んでます。
    ワタナベイビー (ホフディラン)

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